ネガティブ産後鬱だった話その1

こんにちは。ネガティブ人かろうです。

妊娠6ヶ月に入りまして、一人目を出産した頃のことをいやに思い出すようになりました。

正常分娩でいけるなら…出産予定日まで

あと20週。半年以内。あと136日。3264時間。

単位を時間にするだけで怖い…!

迫ってくる感が半端ない!

 

2回目だからこそわかる、恐怖というものが私の奥底にゆらりと浮き上がって揺さぶってきやがります。

 

人間を産むって、すごく怖い

 

何が怖いかって、産後鬱だったあの暗い自分に戻ることが一番怖いんです。

 

怖いなら何で2人目作ったん?なんて疑問はさておき。

私が出産後毎晩絶望を感じながら過ごしていた、産後鬱のお話をしようと思います。

 

 

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一人目を妊娠していた頃は、何故か「出産」がゴールだと思っていた節があった。

「妊婦期間長いな〜まぁ子供産まれたら終わりか〜」と楽観視していた。

友人も社内も独身ばかり。実親も子供が産まれたら云々…なんて教えてくれる機会がなかった。もっと私も疑問に思うべきだったのかも…しれない。

誰しも新しい命が宿っていることに祝福してくれて、「産まれるのが楽しみ〜」と笑顔で見送ってくれていました。

「産まれたら〜」「女の子だったら〜」「こんな習い事してほしい〜」「こんなことを一緒にしたい〜」という「いつかやってくる」日の話。

リアルなビジョンなんて何一つない、高校生みたいな空想のお話でした。

「妊婦生活はしんどいけど産まれるまで頑張ろう」と毎日を励ましながら、地味なマイナートラブルと戦う日々で、出産後の自分なんて全然意識もしていなかった。。。

 

当然ですよね、だって周りに新生児のお世話して四苦八苦しているママさんがいないんだもん。

可愛い服を着た赤ちゃんをベビーカーに乗せて、オシャレな服を着たお母さんが街を歩いているのを見て「私もああなるんだ〜」なんて空想するだけ。

(実際そんなオシャレな服着てベビーカーに乗ることはありませんでしたけど笑)

 

臨月の頃にはネットで「出産体験」を読み漁って、なんだかわかった気でいました。

出産痛そう、怖い、自分には出来るのか?いや無理でしょ…鼻からスイカなんて出ねぇよ!!

とビビって夜も眠れなくなる日々で、赤ちゃんのお世話がどれほど大変かまでは頭が回っていませんでした。

 

そんな恐怖を抱えつつ41週目にやっと破水がきて陣痛がきてあれよあれよという間に出産。出産って命がけ、そんな言葉が身に沁みて、色んな痛みとしんどさと空腹感とやり切った感に包まれていた私の元に連れてこられたのが、産み出したばかりの新生児。

 

「初乳をあげてくださいね〜」と助産師さんに乳をあげる指導を受けている間、私はやっとそこで気付きました。

 

出産ってゴールじゃない、スタートだった

 

もう体の力が入らなくて、全身が痛いし力みすぎて足がガクガク震えているし、寒いし汗まみれだし、お腹が空き過ぎて死んでしまいそうだし、会陰を縫われるのも地味に痛くて放心状態だった私に課せられた、最初の使命。

ちょっと休ませて…とは絶対に言い出せない雰囲気のまま、初乳を与える自分。

それから赤子は新生児室に連れていかれ、やっと休めると思えば病室に入っても1秒も眠れないまま、実親が見舞いにきて顔面蒼白のまま応対。

そして夕方から熱血授乳指導が始まり、母子同室が基本の病院だった為休めないまま授乳おむつ授乳おむつのリピート。

 

その晩、病室でめちゃくちゃ泣きました。6人収容できる大部屋だったのに年末の出産だった為か私だけの貸し切り部屋になっていた大きな部屋で、私はわんわん泣いて、窓の外の電車が通るのを何分も何時間も見つめながら泣きました。

 

夫からの電話で、涙声で「眠れない、しんどい」と何度も訴えていたような気がします(辛すぎて覚えてない)

そこで夜間のナースステーションに行き、涙でぐしょぐしょになった顔で「眠れません薬ください」と訴えて、心配した看護師さんがすぐに薬を処方してくれて、その晩はなんとか眠れました。

だからといって快方に向かったわけじゃなく、翌日もとにかく授乳授乳アンド授乳。

 

心が疲れきっていて、正直な話、新生児が可愛い、とは一秒も思えませんでした。

看護師さんも親も祖母もみんな「新生児可愛い」とニコニコしていたけれど…私だけが「全然可愛くない」と思っていた。可愛い、とは少しも思えない自分がショックだった。

なんで妊娠してしまったんだろう

自分で何ひとつできないすぐに死んでしまいそうな生き物をどうして産んでしまったんだろう

お腹に戻してしまいたい

こんな駄目な私が子育てなんて出来るわけなかったのに!

無理だやめよう逃げよう

この子がもし交通事故で死んでしまったらどうしよう辛い無理だ

ずっと脳内で自分が叫んでいたこの言葉。しんどかった。でも旦那にも親にも祖母にも看護師さんにも、誰にもこの感情は言えなかった。だから余計しんどかった。

常に緊張状態で眠れず、楽しいこともなくて、不安しかなくて、ご飯も美味しくなくて(これは病院食だから)、病院から早く逃げたくて、院内の生暖かい室温さえも辛くて、帝王切開?の術後のママさんが、廊下の壁伝いをゆっくり歩いている姿が痛々しくそれに比べて私は楽に産めて歩行も問題ないのにこんなに苦しんでる自分最低だなと落ち込むのも辛くて、完全に一人になりたくて、結局私は1日早く退院しました。

退院するにあたって看護師さん・助産師さんにメンタル面で大分心配され大変だったけれど…

 

けれどこれも序章に過ぎなかった…続く